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 資料館の歴史

建物の歴史

園里郷土資料館は、
明治16(1883)年建設の歴史的建
物に、主に明治〜昭和に地域住民が使った農具や日用品、
書物などを展示し、かつての生活の様子や歴史、文化など
を紹介する資料館です。

 建物は日本建築を基礎に、西洋建築のデザインを取り入
れた
擬洋風建築と呼ばれる建物。昭和初期まで学校、その後、
旧豊丘村役場などとして利用され、
平成4(1992)年に復元修復工事が行われ現在の建物となりました。

 木造2階建てで、昨年まで児童クラブとして使われていましたが、児童クラブは豊丘小学校内に移転したことで、豊丘地域活性化連絡協議会(会長・山岸賢一豊丘上町区長)が立ち上がり、住民主体の郷土資料館として整備して来ました。 展示品は豊丘郷土資料保存の会(市川喜太郎会長)が地域に呼びかけて約200点を集めました。

 
1階の3部屋はそれぞれテーマを設けて展示。いろりを設置した部屋は、おやきやひんのべなどの粉物料理づくりに使った石臼、そば打ち道具、箱膳などを並べて、昔の家族空間を再現しています。
 座敷・蚕室の部屋は畳敷きにして、
結婚式の三三九度の道具や、裃、嫁入り道具を入れた長持ち、たんす、蚕糸の座繰り機、糸車などを展示。もう1部屋は、各種脱穀機や鋤(すき)、のこぎり、縄ない機などの農機具を並べています。
 
 
2階は、昔の教室を復元した展示室と教科書類の書物の展示室、三原道、灰野村当時の地図、水利権争い歴史等を扱った地図、記録書物を展示した部屋の3部屋となっています。
 
三原道とは、江戸時代江戸へ向かう街道として北国街道、大笹街道がありましたが、灰野村を経て米子山を超え嬬恋村へ向かう抜け道的なのが三原道で、当時江戸への最短コースでした。
教室には、当時の使用されていた二人机、椅子とオルガンが教室に配置されています。
 正面には、世界地図が壁にぶら下げてあり
大東亜戦争下の日本国の支配が、遠く東南アジアまで及んでいるように記載されています。
 ケースには、住民の皆様から寄せられた教科書が並び、中には医学書や古文書などあります。

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園里郷土資料館

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